KRMG-08 銃拳関機式年一九 舎廠工器兵田倉 (倉田兵器工廠舎 九一年式機関拳銃) |
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護り手への確かな安定感 |
倉田兵器工廠舎 九一年式自動小銃 |
80年代に入ると、冷戦は表面上沈静化し、大国間には和平と相互理解への進展ムードが広がりつつあったが、他方では局地的な紛争やテロが横行していた。 その様な情勢下で、治安維持を目的とする特殊部隊の発足は半ば必然的であっただろう。 サブマシンガンが脚光を浴びる契機はまさに特殊部隊が発足され始めた以降の事である。 91年式機関拳銃もまた例外ではない。 そもそもは、70年代初頭に空挺部隊と特殊作戦部隊の装備として、国防陸軍(G.L.F)から開発発注が出された物であった。 開発発注に際しての条件は次の様な物であったという。 1 比較的容易調達可能な拳銃弾を使用し、セミ・フルオートマチックでの発射が可能な 機構を有する事。 2 本体全長は450mm以下とし、重量は2500g以下とする事。 3 30000発の連続発射に耐えられる事。 条件は極めて少ないが、これは既にG.L.Fが開発に際して、モデルとなる兵器を想定し、示唆した上での発注であったからだと言われている。 この当時、G.L.Fは各国の特殊部隊が採用し始めたIMI社のウージーやワルサー社のMPシリーズの様なサブマシンガンを想定していた。 【太助1号】の開発コードが付けられ開発が始まったが、試作品完成までの時間は予想以上に長引いた。 さらに実際に出来上がった試作品は、SMGと呼ぶには余りにコンパクトにまとめられた銃であった。見た目は大型自動拳銃程度の大きさと重量しかないのだから・・・・・。 これは発注後に発生した米国大統領暗殺未遂事件に対して、従来の大きさのSMGでは即応対応が難しく、実際に使用されるであろう特殊環境に対しても取り回しに疑問が生じる、とした理由で開発主任担当者がモデルとする銃をより小型のマイクロ・ウージーやそこから派生したM10に切り替えてしまったためである。この事が開発を長引かせた原因だと言われている。 提示された条件は確かにクリアーされてはいたが、開発の遅れから既に外国製品のライセンスに踏み切っており、また別途で用意された各種専用弾の生産コストに問題がある等として、G.L.Fは試験的採用のみに止めて、以降を見送ってしまう。 結果、【太助1号】はG.L.Fに、この時は正規採用されなかった。 軍には採用されなかった機関拳銃【太助1号】であったが、警察をはじめとする治安維持当局がこれに注目する。 倉田機関拳銃は通常9mmパラ・カート弾を使用するが、陸軍不採用の一因に数えられる専用の極反動9o短弾(【小花6番】と呼ばれていたらしい)をはじめとした幾つかの特殊弾が用意されていた。治安維持当局が注目したのは倉田機関拳銃と極反動9o短弾の組み合わせであった。 実際に試射した人はその反動の無さに呆れたという。 呆れる以上の驚愕も存在した。グルーピング率の高さである。 シングル発射の場合、50メートルで1o。 フルオートでも、50メートルで5oという記録であった。 スナイパーライフルの比ではない。 『驚異的な暗殺銃』と言われた程である。 しかし、だからこそテロ対策や凶悪事件などに対応するには非常に有効な装備だったのである。 中距離から人質を盾にする犯人を一撃で仕留められるからだ。 撃ちたい場所に当てられると言う事は、射殺を目的としない場合でも有効となる。 最初の開発発注から約十数年後の1986年、【太助1号】と極反動9o短弾は【保安拳銃】と【安全弾】の名称で警察をはじめとする治安当局に採用された。 治安維持当局に採用された事で、【太助1号】は様々な場面でその真価を発揮する。 1991年6月、G.L.Fは【太助1号】を【倉田兵器工廠舎91年式機関拳銃】の名称で正式採用を決定した。 以後、現在に至るまで警察から軍隊、果ては民間軍事組織すら使用され続けている。 ただし、特殊弾は民間市場に出回ってはいない。 |